今日の神様 その62 〜水無神社
岐阜県高山市にある
『水無神社(みなしじんじゃ)』
さんにお参りしてきましたー
飛騨國一之宮、式内社(小)、旧国幣小社で現在は神社本庁の別表神社です。
ホームページはコチラ
http://minashijinjya.or.jp/
ご祭神について
ご祭神として
水無大神(みなしのおおかみ)さん
がお祀りされています。
水無大神は15柱の神様を総称した呼び方になっています。
主祭神は御歳大神さん、水無神さんとも呼ばれます。
配神が14柱。
大己貴命さん、三穗津姫命さん、応神天皇さん
高降姫命さん、神武天皇さん、須沼比命さん
天火明命さん、少彦名命さん、高照光姫命さん
天熊人命さん、天照皇大神さん、豊受姫大神さん
大歳神さん、大八椅命さん
の14柱がお祀りされています。
ご神体について
神体山の位山(くらいやま)がご神体となっています。
位山は飛騨高地の中央に位置する標高1529mの山で、日本二百名山に数えられています。
水無神社の歴史について
水無神社の創建は不明ですが、既に858年〜876年の清和天皇の時代には従五位上の神階が与えられたとの記録が残っています。
↓
平安時代中期に成立した延喜式では、飛騨國一之宮とされ小社に列格しました。
↓
鎌倉時代には「水無大菩薩」と称していて、社僧が奉仕していたそうです。
神宮寺で仏事を執り行っていた僧侶のことです。
明治の初めまで、御年寺という神宮寺が存在していたようで、水無神社に奉仕していたのはこの御年寺の僧侶だったと推測されます。
神仏習合によって、神社の中にお寺を建立し別当(僧侶の職階・別当はトップです)を筆頭とする僧侶の支配を受けていました。
神官としても、この僧侶の支配を受ける形は平安朝の時代に多くの神社で成立したと言われています。
これは「宮寺制」と言われ、明治維新での神仏分離令まで続きました。
安永2年(1773年)、飛騨一円をまきこむ農民一揆「大原騒動」が起きました。
水無神社はこの大原騒動の大規模な集会地となった歴史があります。
そして、この大原騒動で水無神社の神職2名が処罰されるという事件が起きました。
神仏分離令の後、明治時代には島崎藤村の父・島崎正樹が宮司として在職していたそうです。
「稲喰神馬(いなはみしんめ)」の伝説が語り継がれている神馬舎です。
1607年に造営され、大原騒動とも因縁があると言われている絵馬殿。
写真ですいませんが、皆さんにパワーが届きますように!
水無神社
岐阜県高山市一之宮町5323